じいちゃん、またねー。
こんばんは、たちばなです。
5月12日15時半に母方の祖父が亡くなりました。
そんなわけで、現在住んでる青森から地元の岩手県南へ、急遽新幹線移動。
しかも子供2人連れで(2才&4才)、式関連の為3日+休息のため1日、都合4日地元に戻っていました。
式一連は納骨以外は全てでましたが、今になってようやっとじいちゃんの死について振り返ったり、想い馳せたりできています。
仕方ないとはいえ、子供連れのため火葬~通夜~葬式とどの場面でも、いかに子供たちをうまくなだめて、大人しくさせるか。場違いに大笑いとかさせないかに苦心していたため、感慨に耽れるはずもなく。
ちょっと苦しくなった7号喪服ワンピースで、走り回る子供らを追いかけまわしていた3日間でした。
妹にも上の子と同じ4才児がいるものだから、もうわちゃわちゃ。
火葬場で飽きた子供らを連れて、外に出たはいいけど上の子なんかは走り回って派手に転んで、膝小僧を派手にすりむいて血だらだらになっていたりもしてました。
じいちゃんの死に関しては、悲しくない寂しくないと言ったら嘘になりますが、涙は出なくて、どちらかというと、タイトル通りまたねーって感じなんですね。
数えで92歳、死因もほぼ老衰。大往生です。
3年前くらいから体調崩して、心臓が弱ってきて入院退院を繰り返して、ここ半年くらいは何回も「明日までもたない」と医師に言われながらも、復活してきたじいちゃん。
親から「危篤」⇒「大丈夫だったよー」の電話が来る度、もうじいちゃん仙人の域だよねー。いやいや即身仏でしょなんて冗談言ってたくらい。
年始に会いに行った時も、確かにガチムキだった肉が落ちて痩せてはいたけど、しっかりしていましたし。(まぁ数年ぶりな上、寝起きに行ったから、果たして私を認識していたかは不明ですが)
ただ、今回5月12日朝に連絡きたときは、一度呼吸が止まってしまってまた戻って、ってことだったので、いよいよかもって空気はでていたんですよね。
まさか、その半日後に訃報を聞くことになろうとは思わなかったです。
本当、じいちゃん頑張ったよね。
今思い出すのはじいちゃんの笑顔だけです。
ずっと専業農家で、上背はないけどがっしりした体格と、ぱっつぱっつでお日様みたいなつやつや赤いほっぺ。
外孫なのもあって、あまり怒っているのは見たことなくて、行くと目を細めてニコニコしてくれてた。
お酒嫌いじゃないけど、弱くって少し飲むと真っ赤になってた。
自ら猟銃もって、猟犬連れて狩りにいったりもしてたねー。
今頃は天国で先に逝っていたミルク(猟犬の名前)たちと、またキジ撃ちでもしてるかもですね。
ずーっと朝から晩まで、一年中働いていたじいちゃん。
お疲れ様でした。
それにしても、しばらくはもう子供連れで新幹線移動はしたくないですね。特に今回は私一人だったから余計なんですけど。
そんな不遜な下心もあってアレなのですが。
地元にいるばあちゃんたち、長生きしてなー!!